再開
雨に濡れてキラキラしてる紫陽花が好きです。
ヤノアサノです。
ブログを始めた時、祖父の看取りの時期でした。
祖父のそばにいて思うことがたくさんあって、それを残したくてブログを始めました。
祖父は、7〜8年間がんで闘病して2015年12月30日の朝に亡くなりました。80歳でした。
自分が死ぬときもこんな風に終わりたいなと思える最期でした。
肺を3つ取って(肺って5つあるんですよ!)、肝臓を2回焼いて、大腸を一部切除して
やれることはしっかり前を向いてやって、やりきった次は緩和ケアのサポートを受けながら残りの時間を自分らしくいるための努力を惜しまずに
亡くなる一月前は1番下の曾孫の七五三のお祝いに酸素ボンベ背負ってお寿司屋さんで嬉しそうにビール飲んで
亡くなる一週間前はクリスマスで4人の曾孫たちにプレゼントを手渡して
肺をやってるから最期はどれほど苦しまなければいけないのだろうと、本人も家族も怯えていたけれど、よく聞く「最期に一つ大きく息をついて…」みたいなのもないほど、とても静かに息を引き取って
土方の職人だったじいちゃん
冬に亡くなったけど、秋までユンボに乗って資材置き場の番人やって
痛いのがキライで病院が大キライで
仕事で生爪剥がしても、カナヅチで指叩いて倍に膨れ上がっても「病院は痛いことされるから行かねえ」って自分で消毒しながら治しちゃうような、本当は臆病者で
だから、なんとしても最期に痛い苦しい思いさせたくなくて、緩和ケア病棟やホスピス、少しでも苦痛なくいるために終末期の方たちの過ごし方や緩和方法あちこち調べました。
だけど、こんなに情報が溢れている時代なのに思うようには知りたいことが手に入らなかったんです。
デリケートな話題で声高らかに語るもんじゃないというのも分かってるけど、死って、世の中で唯一の「ぜったい」で、「100%誰しもが経験すること」で、たぶんほとんどの人が自分や家族のその時は「痛くなく」「苦しくなく」と願っているはずなのに、そのための方法や、渦中の人の声がシェアされていないっておかしいなって感じました。
とても大切なことなんだから、フツーに話せたらいいのになって思いました。
「じいちゃんがんでそろそろだからいい病院探してる」
って声をあげたとき、なぐさめてほしいんじゃなくて励ましてほしいんじゃなくて
「あの耳鼻科、先生こわくてすごく痛いけど、一発で風邪治してくれるよ」とか「あそこの先生ちょっと頼りないけど優しいし空いてるから待たずに診てくれるよ」みたいに、具体的な情報をシェアし合えたらいいのになって。
こんな時こう思ったよ、あんな時あぁ感じたよ、それを超えるとこんな感情が産まれてくるよ、みたいに、本人やその家族のリアルな「あるある」を共有できたら心強かったのになって。
だから、私がシェアすれば、私にも共有してもらえるかなって思って、ブログを始めました。
でも、「伝えることをじょうずになりたい」=「気持ちを言葉にするのが大の苦手」なアウトプット初心者の私にはハードルの高すぎる話題でした。
思うことはたくさんあるけど、繊細すぎる話題に頭ばっかりデカくなって、案の定ブログ続けられませんでした。
今、祖父の一回忌も終え、春が来て、通勤電車に不慣れでもキラキラした目をしている新社会人さんたちを見てると私もなにか始めてみたくなりました。
なのでブログを再開します。
ただ、今度はもう少し気軽に、楽しく続けられるように、趣味や好きなことを題材にしてみようかと。
そこからやり直して、「伝えること」がいつかじょうずになれたら、祖父の看取りで感じたことも言葉にできたらいいなと思っています。
まずは最近必死になってる「美容」かな。
30歳過ぎてから何年も悩まされてきた肌荒れに本気でうんざりして、今年こそボツボツとお別れするって決心したんです。
ゆるゆると書いていこうと思います。
それでは、ご縁がありましたら、また。
幸せはお金で買えます
真田の弟よりお兄ちゃんが好きです。
ヤノアサノです。
「本当にほしいものはお金では買えない」と教えられて生きてきました。
でも、そんなことなかったみたいです。最近、幸せはお金で買えることを知りました。
続きを読む”気持ちを言葉で伝える”ことの大切さとむずかしさ
ブログ始めます
はじめまして。
澄んだ空に冷たい空気が年の瀬を感じさせます。
地下鉄から地上に出るときに広がる青空が好きです。
ヤノアサノと申します。
いろいろなことがありまして
”気持ちを言葉で伝える”
って大切なことだなぁと、改めて思うことがありました。
同時に、それってすごくむずかしい。。。とも。
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